名 前 : 山根湿式製錬所跡の煙突 市民は『煙突山』という愛称で呼んでいます。
生年月日 : 明治19年(1886)に着工し、明治21年(1888)に完成しました。
私 略 歴 : 山根湿式製錬所は、明治19年(1886)に着工し、明治21年(1888)に生子山の斜面に約60メートルの
煙道を設け、山頂に約18メートルの赤煉瓦造りの煙突を立て、現在の大山積神社のあたりに山根製
錬所は完成しました。
しかし、明治28年(1895)に煙突から出る亜硫酸ガスが付近一帯の農作物に被害を与えるという
深刻な煙害問題が発生したことから、わずか7年で閉鎖されました。
現在、建設以来120年余りの時を越え、数々の地震、風雨・風雪にさらされているにもかか
わらず、堂々と新居浜市の産業遺産のシンボル煙突が生子山の上に遺跡として残っています。
近々、新居浜市所有になります。
血 液 型 : 煙害型から遺跡型に変身しました。(笑)
貴重な産業遺産として、国の登録有形文化財型を目指します。
(2007/10/23 別子銅山が経済産業省の産業遺産群に認定されました。)
住 所 : 新居浜市角野新田町3丁目13番 生子山 [標高150メートル] 郵便物は、届きません。(笑)
背後にある銅山峰周辺は、江戸元禄の時代から栄えた日本有数の銅鉱山で、住友の発祥の
礎になったところ。煙突山の麓には山根公園や別子銅山記念館があります。
家 族 : 別子銅山 300年の足跡は、海抜約1300メートルの別子山上から新居浜の臨海部を経て、沖合約
20キロの四阪島に至るまで、今も数多く残されています。(全てが私の家族・親戚です。)
これら別子銅山関連の近代化遺産群は、わが国の産業革命が果たした役割を雄弁に物語る世界的
なモニュメントです。
趣 味 : 毎日、東側の大山邸神社奥の宮と共に、新居浜市の安全と発展を高い所から見守っています。
2008年10月 記
生前、自治会の連絡で頂いた葉書から・・・。
上空からの煙突山をご覧下さい。